父のカメラ

 父は、明治38年生まれで、55歳の定年まで小学校の教員をしていました。

写真撮影が趣味でいろんなカメラで写真を撮り、自分で現像から引き伸ばしまでやっていました。 西大寺のカメラ屋と親しくしていた関係で、安いカメラがたくさんあり、レンズの種類による写り方の違いを楽しんでいました。 普段はパーレットなどブローニーフィルムのカメラを使用していたようですが、旅行の時など屋外撮影では35ミリフィルムのコダックレチナを愛用していました。  

 

 父の保有していた一番の高級カメラは六櫻社の新型リリー(カールツァイス イエナ テッサー 105ミリ F4.5)ですが、三脚を使った家族の記念撮影など限られた出番しか無かったようです。 父からは、ツァイスのテッサーがいかに優れたレンズであるかを繰り返し聞かされました。 遺品として私が引き継ぎましたが、レンズ、シャッター、蛇腹、金属のクロームメッキなど今でも新品同様で、すばらしい69判の写真が撮れます。

 

 昭和30年代にカラーフィルムが出始めましたが、高価なこともあってあまり積極的にカラーでは撮りませんでした。  「写真はモノクロこそ芸術だ」が父の口癖でした。

父のカメラ 六櫻社 新型リリー
父のカメラ 六櫻社 新型リリー